お散歩で会っていたDASH村の看板犬・北登(ほくと)クンが旅立ちました。2011年3月の東日本大震災から6年たった17年早春…16歳でした。すでにお葬式も営まれました。
亡くなってから1か月以上たった3月26日(日)の放送で公にされたのを機に記事を公開します。
DASH村の北登くんが東京で過ごした6年の余生から学べるコト
北登くんとは?
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(出典:公式サイトより)
と、公式サイトでも記されているように誰もが常にリードで繋がれる東京での暮らしを心配したのではないでしょうか。
北登クンとのたった1枚の写真
北登クンは2011年の震災後、福島のDASH村から都内にお引っ越し。スタッフの親族のもとで過ごしてきました。住み慣れたDASH村を離れて慣れない都会暮らし。当初はかなりのストレスがあったことでしょう。でも、6年間を東京で過ごし16年という天寿を全うしました。人間に換算すれば90近い高齢です。
東京での6年、北登くんはどんな暮らしを送っていたのか、日々つむ編集部が言える範囲で知っていることをご紹介します。
△犬編集長と挨拶をかわす2015年の写真。DASH村の北登くんなんですよ〜と気さくに教えてくれたのがきっかけでした。
近隣には少しでもストレスなく過ごさせたいという空気が生まれていて、適度な距離感をもって接してきました。被災犬&スター犬ということがあったのでしょう。SNSの時代に珍しいことかもしれませんが、近所のみなさんは「できるだけ平穏に」という暗黙のルールに従っていました。
DASH村がどこにあるか分からないように、東京でも過ごしていたことになります。
東京に来てからの北登クンは?
北登クンは2011年の震災を機にDASH村に住むことができなくなりました。そのとき10歳。人間でいえばシニア世代です。番組のスタッフに引き取られた北登クンは東京で暮らし始めました。実際に面倒を見ていたのはスタッフの関係者。
かわいそうだから、とその方は毎日の散歩は欠かさず北登クンの面倒をみてきました。番組では名前も出てましたね。北登クンと挨拶をかわした近隣のワンコや飼い主たちは、みんな北登クンのことが好きになりました。なぜなら北登クンはいつだって人間にも犬にもフレンドリーで優しく接してくれたからです。小型犬のなかにはけたたましく吠える子もいましたが、北登クンは吠えかえしたり威嚇することもなく、落ち着くのをずっと待っていてくれました。トイプードルの犬編集長も北登クンのことが大好きでした。
そこには東京にいても変わらないDASH村の北登クンがいました。TOKIOや三瓶さんをはじめとする地元の方、スタッフの愛情をもって育てられ、田舎育ちでも都会に適応するだけの社会性を身につけていたんです。野山を駆け回ることより、日々愛情を注いで暮らすコトが大切なことをわたしたちは北登クンから学びました。
DASH村の10年と東京の6年
DASH村で過ごした10年と、東京で過ごした6年。どちらが幸せだったかと考える方もいるのではないでしょうか。番組では野山を自由に駆け回る姿(DASH村)とリードにつながれて散歩する姿(東京)が映っていました。ほとんどの方は・・・
野山を駆け回るほうが幸せ〜
と思うのではないでしょうか。そして自由を奪われた東京での暮らしがカワイソウだと・・・。
北登クンの本当の気持ちはわかりません。でも犬は人間に依存しなければ共存できない生き物です。毎日お散歩してくれる人がいて、ご飯を食べさせてくれる人がいて、トイレの始末もしてくれる人がいる・・・。そんな東京での暮らしは例えリードにつながれていても不幸せではなかったように感じます。大好きな飼い主がそばにいるだけでワンコは幸せなのです。実際に犬を飼っている方なら共感していただけることではないでしょうか。
すべては10歳になってから日々面倒を見てくれた新たな飼い主さんのおかげです。
北登クンが教えてくれたコト
北登クンが生きた16年の軌跡から学べるコト。それは飼い主の愛情があっていつもそばにいてくれれば、環境が変わろうとストレスなく過ごせるというコト。
もし犬を飼いたいと思ったら、まずは保護犬を選択肢に入れてみてはいかがでしょう。引越しや世話が大変など身勝手な都合で捨てられてしまった犬たちがいます。でも、北登クンのようにシニアになってもチャーミングなワンコがいっぱい待っているんです。
>>>初めて子犬を迎える当日までにやっておく必要なこと、後回しでいいことまとめ
東京で過ごした6年の余生、わたしたちからみた北登クンはとっても幸せでしたよ〜。
きっと今は三瓶明雄さんのそばで、野山を駆け回っていることでしょう。
(日々つむ編集部)